はじめに
性感染症(STI)というと、多くの方は性器の感染を思い浮かべるかもしれません。しかし実際には、クラミジアや淋菌は肛門(直腸)への感染も頻度が高く、MSM(男性同性愛者)やトランスジェンダー女性においては重要な感染経路とされています。当院でも、年々肛門感染の例が増加しており、決して珍しくはなくなってきました。今回のコラムでは、この見過ごされがちな肛門・直腸感染について、世界各国の論文や報告をまとめて解説しました。
肛門感染・直腸感染の実態
高い感染率の報告
南米ペルーのリマで行われた大規模な研究では、男性同性愛者とトランスジェンダー女性を対象とした調査で、クラミジアの肛門感染率は最大21%、淋菌感染率は17%と報告されており、高い有病率が確認されています[1]。
年齢層による違い
感染率には明確な年齢差があることも分かっています。34歳以下の若年層で感染率が特に高く、年齢が上がるにつれて有意に低下する傾向が見られます[1]。これは若年層の性行動パターンや、年齢とともに増加する健康意識の違いが影響していると考えられます。
無症状感染の見逃しリスク
無症状感染の問題
肛門でのクラミジア・淋菌感染の最も厄介な特徴は、無症状であることが非常に多く、患者自身が気づかないまま感染が持続するケースも少なくありません[2]。これにより、知らず知らずのうちに他の人に感染を広げてしまう可能性があります。
部位別検査の重要性
従来の尿検査や性器からの検査では陰性でも、肛門からの検査では陽性となるケースが多数報告されています[2], [3]。これは、感染部位によって菌の分布が異なるためで、包括的な検査の必要性を示しています。症状がないからといって安心するのではなく、リスクのある行為をした場合は必ず部位別の検査を受けることが重要です。
感染リスクを高める要因
性行動と感染リスク
肛門感染のリスクには、受動的肛門性交(アナルセックスで挿入される側)が強く関与していることが分かっています[4]-[6]。肛門の粘膜は性器よりもデリケートで、微細な傷がつきやすいため、細菌が侵入しやすい環境になっています。
潤滑剤使用のリスク
近年の研究で注目されているのが、潤滑剤の使用と感染リスクの関係です。市販されている一部の潤滑剤(Gun Oil®、Slick®など)を使用することで、直腸粘膜のバリア機能が損なわれ、クラミジアや淋菌の感染率が上昇することが複数の研究で示されています[5], [6]。
また、プレカム(男性の分泌液)を潤滑剤代わりに使用した場合も、感染リスクが増加することが報告されています[4]。これは一般にはあまり知られていませんが、リスクを高める要因として重要です。
抗生物質使用歴の影響
過去の抗生物質使用歴も、感染リスクに影響する可能性があると指摘されています[2]。これは抗生物質によって腸内フローラ(腸内菌叢)のバランスが変化し、外来菌の侵入を助けてしまう可能性があるためです。
複合感染の問題
マイコプラズマ・ジェニタリウムとの同時感染
肛門感染では、クラミジアや淋菌だけでなく、マイコプラズマ・ジェニタリウム(MG)という細菌も同程度に検出されることが分かっています[7]。特に直腸炎の症状がある男性同性愛者では、MG検査も同時に行うべきとされています。
MGは薬剤耐性率が高く、治療が困難なケースも少なくないため、早期発見・早期治療が極めて重要です[7]。
社会的背景と健康格差
男性間性交愛者、トランスジェンダー女性で特に高い感染率
研究によると、トランスジェンダー女性は男性同性愛者よりもさらに高い感染率を示す傾向があります[1], [2]。これは医療アクセスの困難さや社会的な偏見・差別による周縁化が背景要因として考えられます。
医療アクセスの重要性
性的マイノリティの方々が安心して医療を受けられる環境づくりは、公衆衛生上の重要な課題です。恥ずかしさや偏見を恐れて受診を躊躇することで、感染の拡大や重篤化を招く可能性があります。
深刻な健康リスク
HIV感染リスクの増加
肛門でのクラミジア・淋菌感染があると、HIV感染リスクが3〜5倍に上昇するという研究報告があります[8]。これは粘膜の炎症により、HIVウイルスが体内に侵入しやすくなるためです。性感染症の予防は、HIV予防の観点からも極めて重要です。
重篤な合併症
無症状だからといって放置すると、肛門感染は以下のような深刻な合併症を引き起こす可能性があります:
- 骨盤内炎症性疾患:感染が骨盤内の臓器に広がる
- 直腸狭窄:慢性炎症により直腸が狭くなる
- 肛門周囲膿瘍:肛門周囲に膿がたまる
- 不妊症:感染が生殖器官に影響を与える
検査と診断について
推奨される検査とその方法
国際的なガイドラインでは、男性同性愛者やトランスジェンダー女性に対して、尿道・咽頭・肛門の3部位すべてに対するPCR検査を3〜6ヶ月ごとに行うことが推奨されています[2], [3]。
検査のタイミング
- 定期検査:症状がなくても、3〜6ヶ月ごとに検査を行ないましょう。
- 症状がある場合:速やかに受診しましょう。
- リスクのある行為の後:2〜3日後が望ましいと考えます。
- 新しいパートナーとの関係開始前:互いに検査を受けましょう。
治療とケア
標準的な治療法
クラミジア感染
- アジスロマイシン(1回投与)
- ドキシサイクリン(7日間投与)※肛門感染の場合は、こちらが推奨されます。
淋菌感染
- セフトリアキソン注射 静脈注射となります。
薬剤耐性を考慮した治療選択
治療の重要ポイント
- パートナーの同時治療が必須です。
- 治療完了まで性的接触を避けましょう。
- 治療後の確認検査(Test of Cure)を必ず受けましょう。
予防策と生活習慣
基本的な予防方法
コンドームの正しい使用
- アナルセックス時は必ずコンドームを使用しましょう。
- 適切なサイズと質の良い製品を選択することが大切です。
潤滑剤の選択も重要
- 水性の潤滑剤を使用
- シリコン系や油性は避ける
- プレカムの使用は控える
定期検査の徹底
- 症状がなくても定期的に検査することが推奨されます。
- 1カ所だけでなく、咽頭・性器・肛門など複数部位で、複数の病原体の検索(淋菌・クラミジア・マイコプラズマ・ジェニタリウムの検査)が推奨されます。
パートナーとのコミュニケーション
- 性感染症について率直に話し合うことが必要です。
- 互いの検査結果を共有しましょう。
大阪梅田紳士クリニックでの取り組み
専門的で包括的なケア
当クリニックでは、以下の特徴でハイリスク群の患者様をサポートしています:
当院の検査技術
当院では、核酸増幅法検査で、淋菌・クラミジア、マイコプラズマ・ジェニタリウムの検査を実施しています。淋菌とクラミジアに関しては、午前中に検査をすれば、その日に検査結果が分かり、そのまま治療が可能です。
- 精度の高い核酸増幅法検査による正確な診断を行ないます。
- 3部位(尿道・咽頭・肛門)での包括的検査を行なっています。
- マイコプラズマ検査も同時実施可能ですので、ご相談ください。
性の多様性の時代に、当院の取り組み
偏見の克服
肛門感染は医学的な問題であり、性的指向や性自認に関わらず、適切な医療を受ける権利があります。社会全体で偏見をなくし、すべての人が安心して検査・治療を受けられる環境づくりが重要です。
肛門感染の検査・治療の保険適用に向けての取り組み
2025年時点では、淋菌クラミジアの肛門・直腸感染については、保険診療での適用外となっています。しかし、性の多様化が進む中、当院でも肛門・直腸感染が増加してきており、看過できない状況です。当院としては、淋菌クラミジアの肛門・直腸感染についても、検査・治療の保険収載が必要と考えています。そのために、まず我々としてできることは、淋菌クラミジアの肛門・直腸感染の実臨床でのデータを蓄積し、論文を通して学会等に共有しつつ、積極的に働きかけていくことだと考えています。当院では、性感染症学会総会などで、様々な性感染症の定期的なデータの公表や発表を行なっていますので、引き続き淋菌クラミジアの肛門・直腸感染についての情報を発信していきたいと考えています。
まとめ
肛門でのクラミジア・淋菌感染は頻度が高く、深刻な健康問題を引き起こす可能性があります。無症状であることが多いため、定期的な検査が何より重要です。適切な検査と治療により完治可能な疾患ですので、自覚症状がない場合でも、感染の可能性があるときは早めに専門医にご相談いただくことをお勧めします。
大阪梅田紳士クリニックでは、すべての患者様のプライバシーを尊重し、最新の医学知識に基づいた質の高い医療を目指しています。ご不明な点やご相談がございましたら、いつでもお気軽にお問い合わせください。
参考文献
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- Allan-Blitz LT, Konda KA, Vargas SK, et al. High prevalence of extra-genital chlamydial or gonococcal infections among men who have sex with men and transgender women in Lima, Peru. Int J STD AIDS. 2017;28(4):402–409.
- León SR, Konda KA, Klausner JD, et al. P3.118 High Rates of Chlamydia and Gonorrhea Infection in Anal and Pharyngeal Sites in Men Who Have Sex with Men (MSM) and Transgender Women (TW) in Lima, Peru. Sex Transm Infect. 2013;89(Suppl 1):A239–A240.
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- Maierhofer CN, Chambers LC, Dombrowski JC, et al. Lubricant Use and Rectal Chlamydial and Gonococcal Infections Among Men Who Engage in Receptive Anal Intercourse. Sex Transm Dis. 2016;43(12):739–744.
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